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“インスタレーション的施工”に居合わせながら( #ディレクター日記 2020/6/24 )

オンライン会議のためのIDとパスワードの数字が書き込まれるようになった手帳に、リアルな場所の地名や最寄り駅の書き込みが混ざるようになった。対面での会議、現場の確認。季節外れの啓蟄。もぞもぞと動き出した感じの中、まだ表だって見えるわけではないが仕事再開感いっぱいの6月の後半を過ごしている。

これまでの生活習慣と「ニューノーマル」が入り交じる日常。マスクの付け忘れは、いまや最悪のマナー違反という空気だ。数ヶ月前には考えられない。それにしてもマスク暑い。

配信スタジオづくり、始まる

そしてマスクとともに生活必需品と化したのは、オンライン会議ツールである。事実、マイクやウェブカメラ、ミキサーなどの音響機器関連は品薄になっていて、価格が高騰しているらしい。そんな状況下ではあるものの、東京アートポイント計画では、早めの準備が功を奏し、3331 Arts Chiyoda内に持っていたレクチャールーム「ROOM302」を配信収録スタジオに改修する施工作業に取りかかっている。(この「STUDIO302プロジェクト」の概要は担当プログラムオフィサーがnoteでレポートをしてくれている。)

6月19日、施工半ばの現場に顔を出し、半日ほどその現場で過ごした。今回の改修を依頼したのは、アートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」でも拠点形成のためのリノベーションを手掛けた「岩沢兄弟」だ。兄は空間デザイナー、弟は映像・音響ディレクターという、スタジオづくりにふさわしいユニットだ。今回の彼らの現場も良い感じだ。

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▲製作中の「STUDIO302」。単管やベニヤ板などの仮設的な素材でスタジオ化する二人。機材の位置や、それぞれのパーツのサイズや形状などもその場で調整しながらつくっていく。間仕切り壁も現場で15センチほど低くなった。

インスタレーション的施工に立ち会うということ

空間を立ち上げていく現場では当たり前に何らかの不都合が起こる。

現代美術を専門とするキュレーターとして、美術館でのインスタレーション作品の展示に長年立ち合ってきた身としては、それが普通だ。アーティスト達の空間づくりは、「設置」や「施工」ではなく、「クリエイション」だ。岩沢兄弟の「場」のつくりかたにも、そういったインスタレーション作品を組み上げるときのような手付きを感じる。その意味でハードではなく、コンテンツ寄りの振る舞いで「所作」といえる。私からしたら、彼らは「施工業者」ではない。岩沢兄弟に企業からの空間構築の依頼が多いのも、社会が「柔らかな創造の場」を求めているからじゃないかと思う。

彼らは、「仮置き」「仮組み」し初手の行為が、空間をどのように変化させるか確かめながら、ことを進める。よって作業は行きつ戻りつだ。油断している隙に、いつしか形になっていて、一気呵成に仕上げていくところまで進んでもいたりする。伸び縮みする時間の中で、制作は展開する。

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▲音響機材ひとつでも、その場の状況を見ながら設計し、部品をつくってしまう。マイクスイッチもパーツは既存のものではなく、見立ての目線で選んだ「ダクト口金具」のアッサンブラージュ(流用)だ。

「動的」なインスタレーション的施工現場

キュレーター時代、アーティストからのリクエストに対応し、クレームや事故にはつなげず、ベストな環境を整えることを自分の信条としていた。「なぜ今頃……」という無理難題も含まれたりもするのだけど。作家のわがままではなく、作品に求められてしまうのであれば、仕方ないことだと思う。

今回のお二人への依頼は、作品ではないが、スタイルのあるものを求めてのことだ。結果として、図面に則った計画通りの「静的」な施工ではなく、「動的」なインスタレーション的施工現場となる。技量がないと学園祭のできの悪い屋台のように、わちゃわちゃとノイジーで持ちの悪いものとなる。つまり、あんばい良く落とし込むには、勘と経験、加えてメタ表現的要素として何らかのチャレンジが仕込まれるものだ。

プロフェッショナルと呼ばれる人達が持ち合わせている「勘」は、これまでの手法を越えたイメージを、「あり」と判断する能力だ。同時に「なぜそんな大変なことを…」と聞かされた側が思うようなことを、「やってみようかな」と軽やかに告白と許諾が混じり合った口調で進めていく技量でもあると思っている。油断も隙もあったものじゃない。だからこそ、依頼側としては現場に居合わせる重要性と、それにも勝る魅力的な時間が存在する。私達が制作現場に立ち会うのは、リスクマネジメントと進行管理のためだけではない。同時代の目撃者にならんとするためでもあるのだ。

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▲岩沢兄弟の“勘”から現場で突然生まれた「ヒューマンビーイングカメラ」。ウェブ配信カメラとマネキンのアッサンブラージュ。しばらく無観客で配信を続けるスタジオにおいて重要な「観客役」だ。

「基準線を引き直し続ける日々」で何を価値と捉えるか

コロナ禍でもたらされているニューノーマルの日々は、「基準線を引き直し続ける日々」ともいえる。刻々と変わる“前提”、“常識”、“マナー”、“振る舞い”……。

それらから時代の変化を読み取る人がいて、その読み取られた変化は、何らかの情景として意図的に再構築される。そして構築された情景を経験した者は、新しい基準線として了解していく。しかし、その了解がオートマチック(暗黙の内)になされない場合は、「異なった基準」を持つ人と人の間にイメージのズレが生じる。結果、ハレーションや摩擦が起こるのだ。

こういう時分には、それまでの常識的な「定型」に対し、(偶然にせよ意図的にせよ)崩された「応用」をどう判断するかが重要だ。突如現れた異型のものを、無作法な振る舞いや失敗と断じるのか、これからの主流になる新しいあり方だと引き取るのか。ポイントは、何を価値と捉えるかだ。以前通りの価値観、古い方法での結実を求めれば、新しい可能性の芽を摘むことになる。デリケートな問題だ。

「境界線の引き直し」は簡単ではない。しかし、「美しい」と「新しい」は、アートにとっては、とても馴染みのあることばだ。セレンディピティ(幸運な偶然を引き寄せる力)を手に入れるためには、「行動する、価値に気づく、成果につなげる」3つの力が必要だと言われている。

何が言いたいかというと、クリエイションの現場に居合わせることで、先陣を行くプロフェッショナルに伴走し(といいつつ、本当は後をついて行っているだけかもしれないが)、引き直された境界線がもたらす変化の目撃者になれるということだ。今回の現場に立ち会って改めて感じた。

起きていることに対して、こういった感覚をもって接する姿勢と意識を文化事業のつなぎ手として働く人達には求めたい。文化事業の仕立て役の仕事は、計画書のとおり物事を組み上げることでも、現場監督でも進行管理でもない。クリエイションのプロ達の動きをつぶさに観察し、柔軟に対応し、彼らが鋭敏に嗅ぎ取る社会の変化をともに体感し、その気づきをもって新たな文化をつくる一手を打つことにある。「ニューノーマル」を模索する今こそが、そのときだ。中間支援の現場で働く私達も一緒に鋭敏にならないと置いていかれる。

「STUDIO302」はTokyo Art Research Lab「手話と出会う~アートプロジェクトの担い手のための手話講座(基礎編)~」の配信から運用が始まる。仮設のような常設スタジオ。クリエイションの余白を感じる、新しい場からお届けするプログラムがどのように届いていくのが楽しみだ。我々は早く使いこなせるようにならないといけないな。

*追記:6月28日はTURN「テレ手のプロジェクト」の活動日。和綿の苗はすくすくと成長している。

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(2020年6月24日 東京アートポイント計画ディレクター・森司)

*本記事は、アーツカウンシル東京ブログ「東京アートポイント計画通信」(2020/7/10公開)より転載しています。

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東京都内各地で地域NPOとともにアートプロジェクトを展開する試み。noteではプロジェクトの舞台裏での試行錯誤や、現場の記録をお届けします。 https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/creation/hubs/

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「東京アートポイント計画」のディレクターであり、「Tokyo Art Research Lab」や「TURN」、「Art Support Tohoku-Tokyo」などアートプロジェクト関連事業の統括を務めるアーツカウンシル東京・森司の日記がはじまりました。文化を取り巻く状況が大きく変わってしまった2020年4月から、正直な戸惑いと未来に向けた試行錯誤について綴っていきます。